※この記事はネタバレを含みます。
カンヌ国際映画祭にて、最高賞であるパルム・ドール賞を受賞した日本映画『万引き家族』。
複雑な背景を抱えながらも、一つ屋根の下で暮らす家族の物語です。
「そこに愛はあるのか」
「家族とは何でつながっているのか」
劇中の会話にも登場しますが、万引き家族を見ていると、このテーマについて終始考えさせられます。そして淡々と進んでいく家族の物語と、少しずつ崩れ出していく不安定な日常に、私たち視聴者は底なし沼に沈んでいくが如く引き込まれていくのです。
そんな映画『万引き家族』を見ていてまず難解なのが複雑な家族構成です。
分かりづらい家族構成について、登場人物ごとにその背景をまとめました。
最後に私なりの感想と考察もございますので、さらっと読んでいただけますと幸いです。
目次
柴田家の家族構成
家族構成については、関係性をより明確にするため、映画だけではなく小説版の内容も含めてご紹介していこうと思います。
まず前提として、柴田家には誰一人として血縁関係はありません。
この衝撃的な事実を踏まえた上で、複雑な家族構成について順番に見ていきましょう。
※【】内はあくまで偽装家族としての続柄です。
※重複している部分は省いています。
【父】治(演:リリーフランキー)
- 本名は「榎勝太」
- 偽名の「治」は初枝の息子の名前
- 初枝とはパチンコ屋で知り合い、初枝の家に居候することとなった
- 信代とは彼女が働いていたバーで知り合った
- 信代が当時の夫からDVを受けていたことを知り、彼女と協力しあやめてしまった
- 信代とは結婚はしていないが、二人の間に恋愛感情はあり、事実婚のような状態と思われる(劇中で治は、信代とは心で繋がっていると発言している)
【母】信代(演:安藤サクラ)
- 本名は「田辺由布子」
- 偽名の「信代」は初枝の息子の妻の名前
- 母親から愛されておらず「産まなきゃよかった」と言われていた
【信代の妹】亜紀(演:松岡茉優)
- 実際は信代の妹ではない
- 初枝の元夫の再婚相手の息子の娘
- 源氏名の「さやか」は妹の名前
- 妹が産まれ両親からの愛を感じなくなり家出した
- 本当の両親には海外留学していることになっている
- 初枝の元夫の葬儀のときに、初枝から声をかけられ一緒に暮らすことになった
【長男】祥太(演:城桧吏)
- 「祥太」とは治の本名の漢字を変えたもの
- 赤ちゃんのときに自動車に置き去りにされているところを、車上荒らしをしていた治に拾われる
- 本名はわからない
- 両親もわからない
【長女】ゆり(演:佐々木みゆ)
- 本名は「本条じゅり」
- 「ゆり」とは「じゅり」の聞き間違い
- 本名をテレビで報道されていたため「りん」という名前に変わった
- 両親から児童虐待を受けていた
- 夜にアパートの廊下に出されているところを治に拾われる
【祖母】初枝(演:樹木希林)
- 年金暮らし
- 息子の妻と仲が悪く、息子夫婦とは絶縁状態
- 元夫と不倫相手の息子(亜紀の父)の家に行く度にお金(慰謝料?)をもらっている
『万引き家族』の感想・考察
この映画を見る前と見た後では、作品に対する印象がガラッとかわった。
そう感じた方も多くいるのではないでしょうか。
正直タイトルだけ聞くと「なんだか怖くて暗そうな映画だな」というのが第一印象でした。扱う問題や描かれる内容は決して軽いものではないです。でも映画を見てみると、難しい問題をテーマとしつつも、リリー・フランキーさん演じる『柴田治』とその家族の絆や明るい表情が視聴者を繋ぎ止める重要な役割となっていました。この映画にとって唯一の「救い」が「柴田家の存在」だったのです。
・・・とか言いつつも後半まで見ていくと、そもそも柴田家に家族の絆なんて本当にあったのか?と思わせるような場面もあったりして。今までの明るい日常はなんだったのか。松岡茉優さん演じる亜紀が思ったように、この家族はお金でつながっているんじゃないか。子どもたちは別として、大人たちはそれぞれが生きるため、日々暮らしていくため、利用し合っていただけなんじゃないか。映画を見ながら、私の頭の中で様々な妄想が飛び交っていました。
でも最終的に私の中では「柴田家の絆は本当にあった」と思うんですよね。たしかに最初はお金のためだったのかもしれないけれど、家族がバラバラになって各々が過去を振り返って初めて、紡いできた日常が少しずつ少しずつ確かな繋がりとなっていたことに気づいたのだと思います。たとえ、家族全員に血縁関係がないとしても、嘘で塗り固めた家族だったとしても、あの家には確かに「家族の絆」があったんですよね。私はそう思いたいです。
こういった展開も『万引き家族』を見ていて面白いなと思う要素でした。
そしてもうひとつ。この映画で外せないのが結末の描き方です。
映画には明快な答えがあるものもあれば、結末を視聴者に委ねて答えを敢えて見せないものがありますよね。万引き家族は100%後者であり、答えを見せないことで、視聴者へ投げかける問題の深刻さや淡々と描かれる物語のリアリティを引き出しています。
万引き家族が投げかける問題提起に対しての「解」は、今の世の中ではまだ導かれていない。そう考えると、この映画が「答えを見せない(持たない)」結末になるのは必然ですよね。
彼らのしていることは社会的に「やってはいけないこと」ではあるけれど、家族が生きるために「やるしかなかったこと」でもあります。万引き家族のような人たちを実際に見たことがあるわけではないけれど、私たちの見えない場所で罪を犯してでも必死に生きようとしている人たちがいるのかもしれないという問題について考えるきっかけとなる映画でした。
柴田家がこの後どうなっていくのかは、誰にもわかりません。でも『万引き家族』が伝えたかったことは柴田家の未来ではなく、こういった現実に関心をもつことだと思うのです。
だから何ができるかって、何もできない(しない)と思うんですけど、それで良いと思うんですよ。この問題について知ること、今まで目を伏せていた現実に目を向けること、そういうきっかけを得て少しでも考えようと思うことこそが、『万引き家族』が私たちに伝えたかったことなのではないでしょうか。