※この記事はネタバレを含みます。
どんな映画も人それぞれ好き嫌いがあって当然。例えば「この映画は見る人を選ぶよね」と言ったところで「そんなのどの映画も同じでしょう」という話なわけですが、そんな中でも一際見る人を選ぶ映画があります。無理な人は、もう途中でドロップアウトしてしまうくらいのレベルで・・・。
二階堂ふみと小泉今日子のW主演で描かれる映画『ふきげんな過去』は、死んだはずの母と娘の再会をまわりくどく描いた、とってもクセの強いハートフルストーリーです。
最後まで見てもちょっと意味不明・・・って方は多いのではないでしょうか?果子に笑顔が生まれて良かったけど、結局この映画が言いたかったことは何なの?と。
でも、ちょっと待ってほしい。少しだけ深堀りしてみれば『ふきげんな過去』の暖かく切ない魅力に気づくことができるはずです。
- 果子はなぜワニを探していたのか
- 母の未来子との再会にはどんな意味があったのか
- なぜ果子は笑うことができたのか
そんな疑問を私なりに考察しまとめました。
あなたが『ふきげんな過去』という映画を好きになるきっかけになれば幸いです。
ちなみに、私はこの映画・・・嫌いじゃないっす!
目次
『ふきげんな過去』ってどんな映画?
18年前に死んだ叔母として知らされていた女性が突然帰って来る。実は母だと知るいつも不機嫌な少女と母のやり取りを人間らしく描いた、ヒューマンストーリー。
引用元:MIHOシネマ
【作品情報】
監督・脚本:前田司郎
出演:二階堂ふみ、小泉今日子、高良健吾、山田望叶、板尾創路
主題歌:佐藤奈々子『花の夜』
公開:2016年
果子はなぜワニを探していたのか
果子がワニを探すという行為は、彼女が平凡な日常に求める「想像を超えた未来」を意味しているのだと思います。
そもそも果子は海(運河)にワニがいないということを知っており、「なんで探してんの?」と尋ねる従姉妹のカナに対して「いないから。見えるもの見てもしょうがないから。」と答えています。ただ単にワニをみたいわけではない。「ずっと想像の範囲内のことしか起きなかったから」「全部がつまんない。全部なんて全部見えてるじゃない」という発言があったように、予想外の出来事(未来)に対する期待を抱いていたんですね。
そして「未来」とはつまり「未来子(母)」とも捉えることができます。果子は心のどこかで「未来」を、「母」を、求めていたのです。
もちろんそのことを果子が自覚していたわけではないと思います。果子は生まれてすぐに未来子の妹であるサトエに預けられたため、サトエの娘として育てられてきました。未来子が本当の母親であることは知りませんでしたが、それでも何となく今の家族に違和感を感じていたのです。その違和感の正体は何なのか、なぜこんなにも心の中がモヤモヤと渦巻いているのか、そんな気持ちが果子に「ワニを探す」という行動をさせていたのでしょう。
母の未来子との再会にはどんな意味があったのか
果子は心のどこかで求めてきた「未来子(本当の母)」という存在に出会うことで、少しずつ感情を豊かにしていきます。
それまでの果子は、いつも不機嫌で無愛想、感情に起伏がなく、常に何か悟ったような様子でした。未来子と再会して毎日を近くで過ごすうちに、ぎこちない関係がだんだんと本音で接することのできる関係へと変化していき、いつの間にか未来子に対してだけは、感情を露わにできるようになっていました。心の底から怒り、泣き、(爆弾に)心躍らせるようになったのです。18年ものあいだ離れていても、彼女たち親子のあいだには見えない糸があったのかもしれません。そのために果子は長い間悩むことにもなったわけですが、その糸が切れなかったからこそ、この再会が大きな変化を生み出してくれたのでしょうね。
そして未来子が告げる、
「あんたの未来ね、それ、ただの過去よ。見えるものなんて見てもしょうがないでしょ。」
という言葉が、果子が新しい一歩を踏み出すきっかけとなるのです。
なぜ果子は笑うことができたのか
果子が求めていた未来は、今まで「母親」という存在でした。でも「母親」という未来はもう「過去」でなくてはならないのです。なぜなら、何かから追われる未来子はいつまでも果子のそばにはいられないから。これからは私に縛られず、自分の足で果子自身の「未来」を歩んで行かなくちゃいけない。前へ進みなさい。と、未来子はそう伝えたかったのだと思います。
その後、果子はついに運河で発見されたワニを目撃しますが、既に死んでしまっているワニに絶望します。なんだ死んでんじゃん、つまんないな、と。しかし、果子の目に見えているものに、想像の範囲内のことに、変化が訪れます。ワニが生きていたのです。急に動き出したワニと慌てふためく人々を見た果子の顔には笑みがこぼれます。過去ばかり見ていた彼女が初めて「未来」を見た瞬間であり、「未来というただの過去」から解放された瞬間でもありました。
きっと未来子が残してくれた言葉が、彼女に新しい未来を与えてくれたのですね。
そして、これから彼女はまた次の「未来」を求めて、彼女自身の人生を歩んでいくのだと思います。
果子にとって、「ごきげんな未来」が訪れることを願うばかりです。
捉え方は人それぞれ。でも『ふきげんな過去』を最後まで見てみてほしい
失礼ながらもう一度言わせていただくと、『ふきげんな過去』はかなりクセのある映画です。
『ふきげんな過去』についての考察をご紹介しましたが、これはあくまで私なりの解釈であります。これが実際に監督の意図する内容なのかもしれませんし、全くの的はずれな解釈かもしれません。映画の内容の捉え方は人それぞれですし、押し付けるものではないとも思っています。
それでも、『ふきげんな過去』ってつまんないなぁと途中で見るのをやめてしまった人が、ほんの少しでも映画の魅力に気づくきっかけになって、もし最後まで見てみようかなと思ってくれたら、とても嬉しいです。