日本女性に捧ぐ『最高の人生の見つけ方』感想。ラストシーンの意味も解説

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宇宙旅行へ

※この記事は一部ネタバレを含みます。

 

すべての人の人生の中で平等に訪れる最期、「死」。そのとき私たちは何を思い、これまでの人生をどう振り返るのでしょうか。最高の人生だったのか、最悪の人生だったのか、「最期の想い」のカタチは人の数だけ存在します。

寿命や病気など死の原因も様々ですが、もしあなたが「余命宣告」をされたら・・・どうしますか?
一縷の望みを信じ必死に闘病するのか、最期のときまでの大切な時間を家族と一緒に過ごすのか、はたまた自分のやりたいことを思いっきり楽しみ最期の人生を謳歌するのか。

映画『最高の人生の見つけ方』は、「余命宣告」をきっかけに出会った2人の女性が「最高の人生」を求め旅に出るヒューマンドラマです。2007年に公開され大ヒットを収めた、ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン主演の同名映画のリメイク版であります。原作映画のファンである身としては、男性が主人公だった物語を日本版しかも吉永小百合さんと天海祐希さんという大女優を主人公とした女性視点の物語でどう描かれるのか期待大でした。

そこで今回は、日本映画『最高の人生の見つけ方』の感想と、原作を知っていれば気づくことのできるラストシーンの「ロケット打ち上げ」に込められた意味についてご紹介したいと思います。原作ファンのため、どうしても比べてしまう部分がありますが、どうかご容赦ください。

ラストシーンの解説はネタバレになりますので最後にまとめております。まだ本作を見ていないという方はご注意を。

 

『最高の人生の見つけ方』のあらすじ

主婦の北原幸枝と女社長の剛田マ子は病院で出会った。住んでいる世界が違う2人だったが、余命宣告を受けたという共通点があった。ある日、幸枝は病院で少女と出会い、彼女が書いたリストを拾う。そこには、死ぬまでにやりたいことが書かれていた。

引用元:MIHOシネマ

【基本情報】
監督:犬童一心
原案:ジャスティン・ザッカム『最高の人生の見つけ方』
出演:吉永小百合、天海祐希、ムロツヨシ、満島ひかり、賀来賢人
主題歌:竹内まりや『旅のつづき』
公開:2019年

 

『最高の人生の見つけ方』の感想

日本らしく、女性らしく、再構築された映画

 

「死ぬまでにやりたいことリストを書き出してください。」

 

そう言われたら、あなたは何を書きますか?
吉永小百合さん演じる幸枝は、真っ白な紙を前に何ひとつ思い浮かびませんでした。このシーンが本当に切ない。でもなんだか日本らしいなとも思ってしまいました。

原作では主人公の男性2人が自ら「死ぬまでにやりたいことリスト(棺桶リスト)」を書き出しています。海外というと「自分」や「個」を大切にしているイメージがありますよね。でも日本人は「個」よりも「集団」を重んじる傾向があって、海外よりも「誰かのために」「誰かの迷惑にならないために」っていう気持ちが強かったりして、いざ自分のために何かしようってときにパッと思い浮かばない。長年、専業主婦として家族のことを一生懸命考え続けてきた幸枝のような環境の人は特にそうなのかもしれません。
ではどうしたのかというと、闘病していた12歳の少女が落とした「死ぬまでにやりたいことリスト」を偶然拾ったことがきっかけで旅に出る流れとなるのですね。

そもそも原作と比較してみるとコンセプトから違うようにも感じました。原作はアメリカ人のオヤジ2人が世界中飛び回って思いっきり楽しむ爽快感があって、「やりたいこと(旅すること)」を通して自分の人生を謳歌することがテーマの映画でした。対して日本版は、日本人の女性2人が旅に出たことで気付かされた「人との繋がり」や「家族のカタチ」がテーマのように思います。「爽快感」よりも「人間模様」にシフトしているところはとても日本映画らしい温かみがありました
「再構築」という点において、原作を大切にしつつも、日本らしく、女性らしい映画として完成されていたように思います。

ただ、12歳の少女がやりたかったことだからしょうがないのですが、「ももクロのライブに行くこと」や「巨大パフェをたべること」を吉永小百合さんと天海祐希さんがやるのって、映画を見る側としてはちょっとキツイ。原作同様、スカイダイビングをしたり、エジプトへピラミッドを見に行ったりもするのですが、旅の内容が若干薄いというか描写に見応えが感じられないところが中途半端かなぁと感じました。
たしかにアメリカ人と同じように日本人がド派手に楽しむというのも違和感はあるのかもしれません。そういう意味では、これも「日本らしい」保守的な感じが表現されていると言えますね。

日本の女性像を吉永小百合が好演

吉永小百合さんと天海祐希さんのW主演ではありますが、比重的には吉永小百合さん演じる幸枝がメインとして描かれています。これは日本版『最高の人生の見つけ方』のターゲットが吉永小百合ファン世代である60代~70代くらいに絞られているからではないかと思います。
ホテル業界の第一線を走り続ける女社長というマ子の強き女性像には、若い世代へのメッセージ性も含まれてはいますが、やはり「女性は専業主婦として家庭に入り、家を守る」という時代を生きてきた世代への訴求力はマ子の比ではないでしょう。

世界的にも類をみない超高齢社会と言われる日本において、大女優の吉永小百合さんが幸枝を演じることで、同世代の女性にとって当たり前だった「家庭という限られた空間」に縛られない自由でパワフルな発想に共感し、「こんな生き方もあるんだ」とダイレクトに響くのでしょう。でも決して「専業主婦」という生き方が間違っているわけではないんですよね。専業主婦に対するマ子の否定的な言葉に対して、幸枝が言い放った「バカにしないで」という言葉は、特に印象的でした。これまでの人生があったからこそ、これからの人生が活きてくる。人生において意味のないことなんてひとつもないのだと考えさせられる一言でした。

命とは受け継がれていくものである

「やりたいことリスト」を実現していくなかで、幸枝とマ子はそれぞれが抱える家族や仕事への悩みとも向き合っていくこととなります。

家でダラダラと過ごし頼りにならない夫、しっかり者の娘、引きこもりの息子、ひとつ屋根の下で暮らしているのにも関わらずバラバラな家族を何とかしなければと奮闘する幸枝。「自分が死んだら家族のことをよろしくね」と頼みの綱の娘に頼むも「私ばかりに押し付けないでよ」とまで言われてしまいます。

一方マ子は、夫の浮気に気付きながらも黙認し続けている現状に悩み、わが子のように大切に育ててきた会社を今後どうすべきかについても考え始めます。

この先に待つ最期を前に自分たちは何をすべきなのか、何を残していくべきなのか。
人は生きていくなかで、他の人や物など、必ず何かしらの別の存在と関わっていくととなります。それは、家族だったり、友人だったり、赤の他人だったり、はたまた会社だったり、人それぞれ違うでしょう。肉体は朽ちるけれども、その「何か」へと命は受け継がれていくものなのだと、この映画をとおして改めて気づかされました。

 

ラストシーン「ロケット打ち上げ」の意味を解説

映画の冒頭では「MAKO & SACHI」と描かれたロケットが宇宙へと旅立つシーンから始まります。これが物語の終盤に繋がるわけですが、原作を知っている方はこのシーンでニヤリとしたはずです。

日本版では、少女が落とした「やりたいことリスト」の中に「宇宙旅行」という願いがありますが、結局、幸枝とマ子が生きているうちに実現することができませんでした。最終的には、先に亡くなったマ子が幸枝に相続した莫大な資産を元手に、幸枝が亡くなった後、マ子の秘書である高田によって「MAKO & SACHI」と名付けられたロケットによる宇宙旅行という願いが実現されます。

原作では、最後に叶えられる願いは「荘厳な景色をみる」なのですが、これはエベレストの頂上へ行くこととされていました。日本版同様、生きている間にこの願いは叶えることができず、結果的に主人公の1人であるエドワードの秘書が2人の遺骨をエベレストの頂上に埋葬するのですね。

つまり、日本版の作中では描かれていませんが原作のラストに重ねるのであれば、このロケットには2人の「遺骨」が乗せられているのだと思います。こうして2人は見事「やりたいことリスト」のすべての項目を成し遂げることとなるのです。

 

まとめ

高知県の土佐では「亡くなる」ことを「みてる」と言い、この言葉を漢字にすると「満てる」と書くそうです。命とは最終的に「0(ゼロ)」になるのではなく「100」となる、たくさんの経験や思いを重ねて、重ねて、満たしていく。そうして積み重ねられた「100(命)」が、また誰かの経験や思いへと引き継がれていくのでしょう。

 

私自身、『最高の人生の見つけ方』をとおして、命の大切さや、これからの人生との向き合い方について深く考えさせられました。ぜひとも幅広い世代の方々にみてほしい映画です。

そして、2025年には約30%が高齢者になるとされる日本で、高齢者の方々がより一層日本を盛り上げていくための「元気の源」となるきっかけを生み出す映画になるのではないでしょうか。

 

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